6月2012の投稿

海の日 は 海行っちゃいますか

2012年6月24日 23:13 | 日程関係


予定合えば
塾のみんなで海行っちゃいますか?
(非受験学年を予定してます)

PS
 ジンギスカンやるとは限りません

 


?疑問!  テスト前の親子喧嘩

2012年6月22日 06:16 | トムコーチひとり言


今までを総括させていただきますと

なんだか
子どものテストが近づくと
機嫌が悪くなるお母さんいらっしゃいますね
ケンカをはじめちゃう方もいらっしゃいます

それをやりたければ
やってもいいのですが
人間関係の悩み・問題を抱えた
精神状態を作ってしまうと
子どもたちは成果が出ません!

人間関係のトラブルが起きると
なかなか成果を出すことに
集中できませよね
ましてや親族の中に…

「そんなの関係ない」と強気な方も
いらっしゃいますが 私はそう思いません

なんせ子どもの心理の問題ですからね

不安・心配いろんな感情要素があって
怒りという形で噴出
するんでしょうけど

それをやってしまったら
望まない結果を生んでしまいます

それよりかは

どうやったら うちの子が
快適に成果を出せる環境作りを創れるか

ってことに集中していただけると
子どもも力を出してくるのにな〜
って思います

自分の感情もも大切ですけど
お子さんの感情も大切にしてあげてください

PS
 実話なんですけど…

 母「どうしても あんた落ちるよ
  って言いたくなっちゃうんです」
 母「止められないんです〜」

っていいながら言われ続けたお子さんは
やっぱりそういう結果になりました

こどもは かなりイラつくよう です

もちろん親子仲も…

というわけで
気をつけてください!

 


伝説の読書会

2012年6月21日 12:12 | トム塾 お知らせ


4年ぶりに高2、高3対象の
伝説の読書会を開催しました

教材が そこそこ難しい内容ですので
ツイて来るだけでかなり厳しい授業だと
思っていたのですが
意外や意外
多くの人がツイてきていますね

昔は 国語 ができない子
っていうよりは
読書すらままならない子だった子が

土曜日の哲学読書会を通じて
読書力が育ち

そして 今
大学受験にも対応できる力にまで
育つようになったんですね

なんだか嬉しい限りです

読書力を育てるには
やっぱり読書しかないんだなと思いました
(当たり前すぎて
 何言ってんだって感じですけど…)

いずれにしても
継続は力ですね

 


希望がない小学生

2012年6月19日 06:16 | 伝説のトム語録


うちの小学生はこんなこと言ってました

『夢は力だっ!!』
ってね

反面彼の友人環境では
成績のいい子であったとしても

みなさん
夢も・希望も・目標も
持ち合わせていないよう

希望のない小学生って…

子どもに希望がないっていうことは
日本の未来に希望ないってことですよね

そんな世界を創るわけにはいかな〜〜い

希望いっぱいの世界を創るために
トム塾は 子どもたちとの夢トーク
目標トークに力を注ぎ
希望ある大人へと育成していかなくちゃな
と本気で考えさせられました

一人でも多くの生徒を育てていかねば

興味ある方 ぜひ体験いかがですか〜〜?

 


ゆとり教育 を わかりやすく解説してる短編論文

2012年6月18日 06:16 | 教育業界情報


わかりいい短編論文発見しました

題名を 普通に鵜呑みにすると
間違いなく 誤読 します

でも
内容を理解しながら読むと
僕がいつも言っている
『コンテクストの問題』だってことが
良くわかるはずです

ゆとりがイケないのではなくて
ゆとりの背景が
イケなかったということです

結局
ゆとり教育を真に理解していた先生は
とても少なかったってことですね

どぞ〜
リンクも貼ってます
オリジナルを希望の方は
そちらからご覧ください

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ゆとり教育」は間違いではなかった
http://agora-web.jp/archives/1464922.html
赤沢 良太 / 記事一覧

もし、分数ができない大学生がいたとしたら、それはゆとり教育の問題ではない。分数はゆとり教育でもやっていたから。問題はその根底に横たわる、「問題を解くことができる」という学習内容の「習熟」を拒否した(と現場の教師たちに受け取られかねない)「新学力観」であるこの「新学力観」は、「習熟」よりも「興味・感心・意欲」に重きをおき、やる気があればいいんだ、という価値観を教育業界に持ち込んだ。それ以上に問題だったのが、漢字や計算等の習熟はつめこみだからいけないという風潮を蔓延させたことである。

なにを言っているのか分からない方も多いだろう。「新学力観」とは、「真っ白なところから解き方を考えさせる」という耳に心地よいコンセプトではあるが、これは曲者である。学力が平均もしくは平均以下の児童生徒に、算数でいう定義を発見せよという崇高な課題を提示したからだ。また、ディベートのような学習形態も見ている方は子どもたちの懸命のやりとりに少なからず感動をする。だが、試験をしてみると、九九はおぼつかない、くり上がり・くり下がりはできない、通分・約分はできないという事態になる。「解き方を暗記して繰り返す」のは、「旧学力観」だからだ。

「社会の急速な変化が既習内容をすぐに古いものにしてしまう」という問題意識から出発した「新学力観」ではあったが、九九を「発見」することに地道を上げ、九九を「習得」するということを軽く扱ってしまってよかったのだろうか。九九など基本的な算術が使えないことは、就業者として致命的ではないだろうか。(もちろん、家庭では公文式などに通わせることによってこれに対応したが、少なからぬ現場の教師からは、公文式は本質的な理解ではないと不興を買っている)

たしかに、あるレベル以上では、公文式は役にたたないだろう。私が問題だと思うのは、「古い既習内容」と切り捨て、通常の労働者となるべく子どもたちが身につけるべき技能を身につけさせないまま、社会に放りだしてしまったという点だ。(今は22歳までそのことに気付かないでいられるある意味で幸せな社会でもある)クリエイティブな発想はますます必要だ。しかしそれを全員に求めるのはいかがなものか。

私は「ゆとり教育」自体はよかったと思っている。「つめこみ」で消化不良を起こしてしまっていた世代も確かにあるのだ。よほどの仕事でない限り、「集合」など使わない。「集合」を小学校でつめこもうとした世代もあったのだ。実際に教育現場を見ると、教師はどうしても「できない子」に引っ張られる。小学校も高学年になればクラスの多数が勉強を理解してないということもありえる。となると、授業の進捗に大きな影響を与える。上の子だけを見ている教師などまずいないのだ。心情的にも、学級の運営的にも。成績下位の子を手当をしながら、上位の子どもにも適当な課題を見繕ってあげる「ゆとり」があったほうがいいと思うからだ。

「ゆとり教育」は転換された。問題は、教育委員会や現場の教師が「ゆとり教育」だけでなく、「新学力観」も捨て去られたと認識していないことだ。分厚くなってしまった教科書を、「新学力観」で指導すれば、どういった結果を招くかは、ここまで読まれた方々にはおわかりになるのではないだろうか。「教科書が厚すぎて終わらない」消化不良になるのは目に見えている。

数年のうちに、「新学力観」が淘汰され、かつての「旧学力観」と「新学力観」がバランスよくミックスされた授業が定着していくことを願っている。

 


今日は 日大 です

2012年6月15日 10:21 | 教育業界情報


 


朝から説明会でした

2012年6月14日 15:51 | 教育業界情報


 


今日は朝から説明会へ

2012年6月14日 15:48 | 教育業界情報



明日もです

 


苦手だった、絶対値の問題を次々克服!

2012年6月12日 10:16 | 教育業界情報



もう、自分でできるようになってまーす